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旅をすることが、いつの頃からか、好きになっていました。
旅先の街を歩くことで、普段の生活で慣れきった感覚が、次第に開放されていくことを感じます。
ここでは、そんな旅の記憶を、つづっています。
どうぞ、ご覧くださいませ。
2010/07/06
左の絵画は、エドワード・ホッパーのモーニング・サンという作品です。エドワード・ホッパーの絵画に描かれた人や風景には、これといった特別な出来事はありません。白いシーツが敷かれたベッドのみが置かれた、飾り気のない空間には、大きく切り取られた窓からの朝の光だけが、くっきりと注ぎ込まれています。窓の向こうには、どんな風景がひろがっているのでしょうか。日常的なようすを淡々と描いたエドワード・ホッパーの絵画ですが、どこか不思議な空気感が漂います。
エドワード・ホッパー モーニング・サン
エドワード・ホッパー モーニング・サン
2010/07/02
長期間の旅行になると、なにをするのにもお金が出ていくので、いかにして無駄をしないかということを考えながら、学んだように思います。もちろん、みたいものは観てきたし、遠くても行きたいところには行ってきたので、とても有意義な旅行だったのです。
無駄を省くことを考えると、今まで見えてこなかった家族の大切なもの、暮らし方が浮かび上がってくるかもしれません。無駄をなくした家づくりこそが、真に健やかな住まいを生み出すものであるとも考えられますね。予算の多い、少ないということで量ることのできない豊かな家づくりが大切だと思います。
経済性もまた、重要である。
これは決して安くつくるということではない。
何事も無駄にしないということである。
ー建築家 アントニン・レーモンドー
イタリア・フィレンツェの街角にて
無駄を省くことを考えると、今まで見えてこなかった家族の大切なもの、暮らし方が浮かび上がってくるかもしれません。無駄をなくした家づくりこそが、真に健やかな住まいを生み出すものであるとも考えられますね。予算の多い、少ないということで量ることのできない豊かな家づくりが大切だと思います。
経済性もまた、重要である。
これは決して安くつくるということではない。
何事も無駄にしないということである。
ー建築家 アントニン・レーモンドー
イタリア・フィレンツェの街角にて
2010/07/01
中国の映画『胡同の理髪師』。胡同(フートン)とは、大通りから一歩入った横丁や裏道のことで、北京の街を縦横に走る毛細血管のようでもあります。胡同には四合院という数世帯が中庭を囲むように一緒になっている伝統的な家屋があって、今でも昔ながらに多くの庶民が暮らしています。ただ、もともとはと言えば、この四合院は一世帯で暮らす家としてあったものが、文化大革命以降に今のような数世帯が中庭を囲むような暮らし方へと変わりました。映画では、93歳の現役の理髪師を主人公として、この胡同での日常生活が、ただただ淡々と描かれています。古くからの北京の街並が残っていることから、観光スポットとして、中国国内はもちろん、海外の観光客からも注目を集める胡同ですが、昔ながらの街並は姿を消そうとしています。映画でも、そんな変わりゆく胡同の様子が描かれています。
中国・北京にて
中国・北京にて
2010/06/30
意味のあることと、意味のないこと。今すぐ、必要なことは意味のあることで、今は、まったく必要ないことが意味のないこと。数年後には、案外意味のなかったことが、大切なことになったりもします。建築空間を考えるときも、必要性のある意味のあるものばかりで組み立てるのではなく、特になくても困らないような、意味のないものを散りばめることを考えます。だから僕は、建築空間に意味のない場所をつくりたいと考えます。
写真は、イタリア・シエナの旧市街のようすです。シエナには、世界一美しい広場と言われている『カンポ広場』があります。中世の建物に、扇状に囲まれ、すりばちのように緩やかに傾斜したこの広場は、他にはない一体感のようなものが味わえます。普段、あまり地面に腰をおろすことはありませんが、ここでは、なぜか自然と腰をおろして、すりばちの頂点あたりに視線を向けています。旧市街の小さな街をつなぐ、いくつもの路地は、このカンポ広場へと通じています。路地のところどころに、写真のような小さな広がりがあって、人々が集まります。昔の日本にあった、井戸端のようなものでしょうか。路地に歩き疲れると、ベンチに腰をおろし、古い街並をぼんやり眺め、意味のない時間を過ごします。僕の旅は、ほとんどが意味のないことなのかもしれません。だから、いつまでも大切にしたいと思います。
イタリア・シエナにて
写真は、イタリア・シエナの旧市街のようすです。シエナには、世界一美しい広場と言われている『カンポ広場』があります。中世の建物に、扇状に囲まれ、すりばちのように緩やかに傾斜したこの広場は、他にはない一体感のようなものが味わえます。普段、あまり地面に腰をおろすことはありませんが、ここでは、なぜか自然と腰をおろして、すりばちの頂点あたりに視線を向けています。旧市街の小さな街をつなぐ、いくつもの路地は、このカンポ広場へと通じています。路地のところどころに、写真のような小さな広がりがあって、人々が集まります。昔の日本にあった、井戸端のようなものでしょうか。路地に歩き疲れると、ベンチに腰をおろし、古い街並をぼんやり眺め、意味のない時間を過ごします。僕の旅は、ほとんどが意味のないことなのかもしれません。だから、いつまでも大切にしたいと思います。
イタリア・シエナにて
2010/06/25











